|
亡くなった人を祀るものだとばかり思っていたら、我が家の浄土真宗の場合は本尊を祀るものだそうです。ですから浄土真宗には位牌というものがありません。法名(他の宗派では戒名というそうです)が過去帳に記されているだけのようです。
昨年暮れに父が亡くなってから、お寺と関わることが多くなり、また我が家が門徒(宗派によっては檀家というそうです)になっているお寺の17代目住職が私の小学校の同級生だということもあり、話をする機会も多くなり、いろいろと新しいことを知りました。
お盆にはあの世から亡くなった人が家に帰ってくるので、13日には迷わないように盆提灯を下げ。迎え火で出迎え、15日に送り火で送るということも浄土真宗には無いそうです。 ですから迎え火も送り火もありません。盆提灯についても宗教的役割は何もないので無くても構わないけど、風習としての単なるインテリア的存在のようです。
浄土真宗では亡くなった人は残された人の身近にいつもいるという考えから、盆に先祖が行ったり来たりすることも無いとされています。
また仏壇の前には食べ物を初め多くの供え物が置かれていますが、これは故人に供えるものではなく、こうして食べ物を得ることができました、ありがとうございましたと感謝し本尊に報告するための供え物だそうです。
これまで爺様や婆様がやってきた信仰も、本来の宗教の教義に沿ったものでは無く、風習でやってきたもののようです。
私自信は教えを聞きなるぼどなかなか良い教えだなと思うこともありますが、総てを信ることは出来ません。だって本尊である阿弥陀如来さんに会ったことが無いのに、その存在をそのまま信じることが出来ません。
一般的にはご利益がある宗教の方が多くの人には受け入れ易いのかもしれませんが、私が最近浄土真宗に一番共感するのは、信仰をすることによって金儲けや立身出世とか病気をしないということは一切ありませんと言い切っています。人生には嬉しいこともあり、また不幸なこともあります。その不幸なことも自分の人生の一部だと受け止めて生きていくことが、大切なことですと同級生の住職から聞きました。
他の宗派については良く知りませんが、浄土真宗については↓ここを読むと認識が変わります。意外と合理的な考えだったのでやや驚きもあります。
http://www7.ocn.ne.jp/~kokubo/index.html
|
|