25年になります。トラックの無線というと、違法のものが多かったんですが、その違法電波をなくそうということと、交通事故を防止しようという考えで、「神戸ジャンボトラッカーハムクラブ」というのを創設しました。今ではそのクラブも全国に広がっています。まだシートベルトの着用が規制されていない頃に、“CQ、CQ、シートベルト着けてますか…”というのをあいさつ代わりにしてね。毎年1月には、そのクラブ恒例の新春ボーリング大会と不要品オークションを開催しています。売上金は交通遺児基金に寄付します。毎年少しずつ寄付して、もうすぐ100万円になるんですよ。たとえ小さな金額でも寄付をすることは、自分たちへの戒めにもなっているんです。寄付までして、自分たちが交通事故を起こすわけにはいきませんからね。
ハムに関しての思い出というと、グリコ森永事件の犯人逮捕の協力を依頼されたことかな。犯人が、挑戦状の中で、当時トラックの無線をする人たちの間で流行っていた隠語を使っていたということで、僕のところに話が来たわけです。テレビ局の方が来て、関西全域の無線仲間に情報提供を呼びかけたんですよ。
こんなこともありました。メンバーの奥さんが出産後に急に子宮が破裂してしまって、夜中の12時に無線で僕のところに連絡が入ったんです。10人分の新鮮血が必要ということだったんですが、僕はメンバー表で血液型を管理していたので、家が近いメンバーに連絡したら、8人が来てくれた。命を救えたことが本当にうれしくて、よく憶えています。
でも最近は、携帯電話の普及で無線は下火になりました。それも、パソコンを始めたきっかけの1つです。 |